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「つうしん」No.12

【津山二葉園裁判 経過報告】  弁護士 川崎政宏

 1月19日(水)午後4時からの準備手続

 被告側の代理人が1名交代したため、これまで被告側から提出保留の扱いになっていた主張書面が提出されました。

 また被告側はパン作りの労働強制について、「原告たちに指示した事実はない。子どもたちが暇つぶしやアルバイト職員との交流を目的として足繁く通っていたものと思われる」と反論しています。  原告たちに苛酷な生活を強いていたことに対する反省や謝罪の言葉はいまだにありません。  今後証拠調べに入っていく時期に来ていますが、裁判所から話しあいでの解決の可能性はありますかと双方に投げかけがありました。

 原告弁護団としては、真実を明らかにすることが前提であり、現時点では考えていないと応答しています。

 岡山県(児童相談所)が保管していた証拠はかなり提出されましたので、今後は夏場に予想される本人尋問に向けて準備を進めていく予定です。

 本人尋問の際は、通常の法廷に戻り傍聴席も多数ありますので、支援傍聴につき、ご協力いただければと思います。

【3月9日(水)の準備手続】

  原告側から必要な書面は出ているので、これからは被告の反論書面が提出される予定です。

【次回裁判日程】
    
     4月13日(水)11:00
             岡山地裁 31号ラウンド

     傍聴 よろしくお願いします。

【お花見会】  全員集合〜!

  お花を見ながら会員、元在園生たちとの交流会です。楽しいひとときを過しましょう。
  去年は桜満開でした。今年はどうでしょうか。

     4月3日(日)  岡山市半田山植物園

              11:00 入口で集合です。

  お弁当や飲み物は各自で用意してください。
  お団子もOK!です。

《 真実 vol.7 》   原告 Tくん

 このあたりで僕のことを少し話しておこうと思う。今、僕は26歳になり、普通に働いて普通に生活している。僕は1978年12月に岡山県津山市に生まれた。父は、僕が生まれるずっと前に交通事故に遭い、仕事が出来ない体になっていて、いつも家にいた。母はというと、僕を産んですぐに死んだと父は教えてくれた。『再生不良性貧血』という病気だったそうだ。だから僕は母の顔を写真でしかみたことない。写真の中の母は、とても優しそうで、姉を抱いていた。僕は毎日といっていいほど、家中を走りまわり「お母さんっていい人?」「お母さん優しかった?」なんて聞いてはみんなを困らせていた。家には祖母がいて僕は “おばあちゃん子”として育った。僕には年の離れた兄弟がいて、その末っ子として自分でいうのも何だがみんなから愛され、育った。一家の支えは祖母が貰っていた年金で、祖母の夫、つまりは僕の祖父が戦争で死んでしまったことで祖母には、戦没者年金とか何とかいうものを国から貰っていて、それが一家の財源であった。毎月かなりの額を貰っていて、そのおかげで僕は不自由なく過ごせた。祖母はとても優しく、いつも僕のことを想ってくれていた。僕の帰りが遅くなると、いつも家の外で僕を待っていてくれて、僕を見るなり祖母は、しわだらけの手で頭を撫でてくれた。父には時々怒られたりもしたが、いつも祖母はかばってくれた。僕はそんな祖母が大好きだった。父も優しい人だった。父にはいろんなことを教えてもらった。学校の勉強とかではなく、自然のすばらしさ。つまり、地球が僕たちに与えてくれる恩恵について学んだ。父は山や海を愛し、花や昆虫なども愛した。そんな父の影響で、僕は一つの花を愛した。“オオイヌノフグリ”という花だ。春先に咲く、青く小さな草花で群を成して咲いている。小さく、本当に小さな花で、道端などでひっそりと咲いている。そんな花が今でも好きだ。春といえば桜やチューリップだろうと言う人が大半だと思うが、僕にとって春の花は誰が何といっても“オオイヌノフグリ”だ。その花は僕の家の周りにも咲いていて、直径1cmほどのその花を一つ摘み、家へ持ち帰ったことがある。その時父はニコッと笑い、「おまえにも好きな花が出来たな」といって、頭を撫でてくれた。そんな、あたたかい春の日の記憶が、今の僕を支えている。

《 児童養護施設内の虐待と子どもたち


  恩寵園の子どもたちとの関係で見えてきたもの パート2》
浦島佐登志

 このままではいけない。ただ、子どもが裁判を起こすことはできない。しかし、だからこそ、その中心である彼女が20歳になるまで社会的耳目を集めておこうとしました。木下弁護士が考えたのが住民監査請求でした。大浜園長のしていたことは明確に児童福祉法違反。そんな違法な園長に県が給料を払っているのは違法。だから県知事はその金を県に返せというものです。弁護士ですらやったことがないし、門前払いだと思っていたのですが。ところが、事件になって、監査請求は負けて民事裁判になりました。この裁判にかけるしかないかなと思っているころ、最後に残っていた元園児2名が名乗り出たのです。園長に抵抗しつづけ高校2年の4月に園長から教護園に行くか、家に帰るか、園にいるかを決めろといわれ、実質上追い出されてしまった子たちです。生活はものすごく荒れていました。家に帰ってはコンビニへアルバイトに行き月10万弱のアルバイト料を得る。親父は生活保護を受けながら、その子の措置費も受け取り更にアルバイト料を家に入れろというので家を飛び出したそうです。もう一人は親父の住んでいる東京葛飾に1日だけ居て、翌日母のいる家に連れて行かれ、置いていかれたそうです。

 私たちは、ひとつのこころみとして施設の中で勉強をみる学習ボランティアの学生さんに入ってもらいました。学生ボランティアが「どうですか」と言って行ったら、「君らは浦島と山田由起子を知っているか。とんでもない奴らだ」と言われたそうです。この学生たちがもう少し頑張るというのですが、私はよくもって、せいぜい3ヶ月だろうと思っていました。

 学校を辞めさせられた子どもはとてもひどい状態で、学生の心がもたなかったのでしょう。8月にはギブアップしてしまいました。

 8月、彼女たちが住んでいるボロ屋に行ったのですが、靴を脱いで上がれないほどの汚く古い家でした。上では30人位でシンナーパーティの真っ最中。異様な風景でした。それから食事に連れて行きました。膝上30センチのミニスカートでガン黒の女の子2人を連れて歩くのはとても恥ずかしかったです。店ではすごい目で見られているのですが、子どもたちはそんなことにはおかまいなしですごく食べるのです。(今度いつ食べられるかわからないという飢餓感ではなかったかと思うのですが。)

普通だったら、「そんなことやめろ」と言いたいけど、言えない。
言えないですよね。本当に資力があれば2人の世話も見たかったくらいです。でも我が家にも2人の同年代の子がいて、とても疲れてしまいました。みんなで交代で行くしかできなかったのです。(つづく)

☆1月19日、裁判官から話し合いでの解決の可能性があるかと言われ、正直言って、「何で今頃!?」とびっくりしました。被告側が事実を全面否認している段階では、とうてい受け入れられません。原告たちも同じ気持ちです。準備手続きが終ると、夏頃にはいよいよ本人尋問。待ち遠しいような思いと緊張感を今から感じます。

 たくさんの人に傍聴に来てほしい。

☆浦島さんの報告は、当分続きます。おたのしみに!Tさんの真実、今回は読んで「ほっ」としました。彼の思いやりは幼児期の環境に育まれたのですね。

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