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「つうしん」No.14

 長い間、つうしんを休み、皆さまには大へんご迷惑をおかけしました。年明けと共に再開いたします。今年も引き続き、ご支援、ご協力をお願いいたします。

《 津山二葉園裁判経過報告 》
  
                                           弁護士 川崎政宏

 平成17年12月8日、10時半から準備手続がありました。

 双方から本人尋問の申し出もなされていることから、今回準備手続を終え、年明けから元の大きな法廷に戻って証拠調べが始まるところでしたが、も少し準備に時間をとることになりました。

 理由はこれまでなかなか手掛りがなかった元職員の方とやっと連絡がとれたからです。原告本人の陳述だけでなく、元職員の証言が得られれば原告の皆も勇気づけられます。次回期日までに元職員の証言を書面化して提出する運びになりました。

   次回準備手続は 2月7日(火)11時から
            岡山地裁 31号ラウンド

「子どもたちの言っていることはすべて事実です」

 原告たちから信頼されていた元職員Aさんはきっぱりと言われました。「裁判に協力したい」裁判の提訴以来、私たちは、こう言ってくださる元職員の方たちをずっと待ち続けてきました。そろそろ証人尋問が始まろうとする時期に、内部で一部始終を見てこられた元職員Aさんの出現に、原告たちはどんなに喜んだことでしょう。

「元指導員の陳述書」

 昨年5月27日付で22枚にも及ぶ陳述書が提出されました。その中で、改めて、原告たちの訴えを否認しています。

 紙袋作りは強制ではなく自主的なアルバイト。1日の作業時間は1時間程度。深夜に及ぶことはなかった。ノルマもなかった。報酬はリーダーを通じて各人に分配していた。

 暴力や体罰(竹刀や木刀で殴るなど)一切、行ったことはない。仮に怪我をするような体罰を行えば学校を通じて児相へ通報があった筈(アザや怪我が治るまで入所児童は学校を休まされた)

 パン作りについては原告たちを働かせたことはない。女性アルバイトの歓心を買うために、原告たちはパン屋へ出入りしていた。

 さらに原告一人ひとりについて反論しています。

 11通の手紙を児相へ出した原告については、欲求不満を解消するために、虐待が園内で行われていたかの如く、作り話をしている。その証拠に児相は何らの措置を取っていない。
 児相へ駆け込んだ原告について、児相から内職を辞めるようになどとの指導を受けたことも全くない。それは園内に虐待や強制労働が存在しなかった何よりの証明など、園内に何も問題がなかったから児相からの指導も措置もなかったのだと陳述しています。

 このような強気の主張が原告たちや元職員の証言によってウソで固められていると、誰の目にも明らかになる日が来ることを信じています。( IZU )

【 真実 VOL.9 】  Tくん

 一月の下旬にさしかかったある日、祖母は体調を崩し、近くの病院へ入院した。もう八十を過ぎ高齢ということで、父は医者から「覚悟しておくように」と伝えられていた。僕は何のことかわからなかった。が、僕は言いたくはなかった。(あのおばあちゃんが・・・・)何てことは、これっぽちも想像したくなかった。

 祖母が入院して10日ほど過ぎた時、その時が来た。時間はまだ陽も上らない午前4時過ぎ。病院にいた親戚のおじさんから電話がかかってきた。父は何も言わずに電話を切ると、ポンと僕の背中を叩き「おばあちゃんのとこへ行こうか」と力なく言ってきた。

 僕は子どもながらに現状を理解した。が、次の瞬間、涙が止めどなく流れた。頭で理解しても押さえきれない感情がある。本当に大切なものを失うと頭がどうにかなり、気が狂いそうになる。どうにもできない感情を僕は腹の底から口へと吐き出した。横にいた父がそっと両手で抱きしめ、父の温かい胸へと僕を引き寄せた。それでも泣き止まない僕を父はさらにギュッと抱きしめた。その時父の微妙な変化を僕は感じた。父は僕を抱きしめたまま、かすかに震えていた。僕の首筋にポトリと水滴が落ちた。あれだけ泣いていた僕は、すっと泣きやみ父の変化を確かめようと父から離れると、父は唇をかみしめて泣いていた。父の涙を初めて見た僕はさらに悲しくなった。(ここで泣いてはいけない)僕はそう思った。父の後ろにまわり、今度は逆に父を抱きしめた。(お父さんからしてみれば、お母さんなんだ。お父さんは僕以上に悲しいんだ)そう思うと、父の涙が自然とキレイに見えた。
 父に寄りそい、祖母のもとへ来た僕は、病室の中へ入ることが出来なかった。怖いのだ。好きな人の死を受け入れることが怖い・・・。たじろいでいるところへ一人の看護士さんが来た。その看護士さんとは顔見知りで、祖母のお見舞いに来るたび、何度も言葉を交わし、時には一緒に遊んでくれたりもした。その看護士さんは僕の目の前に座り、話しかけてきた。「おばあちゃんは一番Tくんに会いたがっているよ。この前、Tくんの為に帰るんだって言って大暴れしたんだから。亡くなる前もずっとTくんの名前を呼び続けていたんだよ」看護士さんに諭され、僕のそばまで来ていた親戚のおじさんを見上げると、おじさんはだまってうなずいた。看護士さんに手を引かれながら祖母の前まで来ると、また涙が溢れてきた。その顔はただ寝ているようにしか見えなかった。(おばあちゃん、死んでないじゃん)強がりにも似た思いで、僕は祖母をそっと抱いた。祖母から伝わってくる静かな冷たさが全てを物語っていた。この真実を受け止めるかわりに、僕は祖母を力一杯抱きしめ、力一杯泣いた。

《 悪しき螺旋 》  [真実 番外編]

 2005 年も半年が過ぎようとしている頃、僕は自分を失いかけていた。徐々に近づく裁判での証人尋問が、僕の頭上である種の恐怖となり、大きくのしかかっていたのだ。その恐怖は何物にも形容しがたく、僕は自分の心を押さえ込むだけで精一杯だった。八月も中旬を過ぎた頃、僕は仕事を辞め、休養に励むことにした。と言うのも心と体のバランスが崩れはじめていたからだ。仕事をしていても身が入らなく、イージーミスを繰り返し、自分でもおかしいと感じていたし、上司からも「らしくないぞ」と言われ、仕事に自信を持っていたから余計にショックを受けた。だからこそ休養を、と思い、おもいきって仕事を辞めた。辞めてからは旅行に出かけた。温泉に行ったり、遊園地、観光名所をまわったり、綺麗な景色を眺めるなど、心身のリフレッシュに努めた。この一ヶ月間は、確かにお金はかかったけどかけがえのない体験をした。九月の初旬、僕は仕事を始めた。まだ不安はあったが、なんとかなるだろうと、楽にかまえていた。が、甘かった。一度芽生えた恐怖は、一ヶ月そこらで消えるはずもなく、再び僕にのしかかってきた。僕は九月だけで三回仕事場をかえることになる。

 精神的にもどん底に落ち込んでしまい、自分の存在でさえ恨んだ。(ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ!どうすればいい?何をしたらいい?仕事しなきゃ…。でもまた…辞めたら…。恐い、恐い、恐い、恐い、恐い!!!!!!苦しいよ…、なんでこんな体になったんだろ…。誰か助けてよ…。)悪しき螺旋は僕のなかでうごめいていた。出口があるのか、どっちが上なのか、何もわからない。答えが欲しい…!携帯を取出し、二人の弁護士に電話した。今まで誰にも見せたことない、全てをさらけだして電話口で泣いた。苦しい胸の中を全部吐き出すと、二人の弁護士はその全てを受けとめてくれた。その優しさが、暖かく、僕のなかでまた涙に変わった。恐怖でおののく涙ではなく、絶望から救ってくれた感謝の涙だ。それから少し経って、僕は仕事をまた始めた。今では順調で、楽しくやっている。この場を借りて、僕のこの騒動に付き合ってくれた全ての方にお礼を言いたい。本当にありがとうございました。皆さんがいてくれたお陰で、立ち直れた気がします。また、この『つうしん』に連載している僕の手記を楽しみにしてくれている方にも迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なくおもっています。また、元気に書き始めたいと思いますので、宜しくお願いします。非常に簡単な文章ですが、お礼の言葉とさせて頂きます。

 悪しき螺旋[真実 番外編]  完

★12月22日は千葉地裁での恩寵園裁判の傍聴に行きました。あいにくの大雪で11人の原告の
 最後の3人の証言でしたが、新幹線が遅れて1人しか聴けませんでした。

 でも、支える会の皆さん、原告たちと交流ができて何よりでした。二葉園の原告Tさん の手紙を持って行ったら恩寵園の原告たちが感激して返事を書いてくれTさんはとても 喜んでいました。

★12 月8日の準備手続に「STOP!施設内虐待」のTさんがわざわざ東京から傍聴に来てくださいました。10分程の準備手続のために駆けつけてくださったTさんに弁護士たちも感激するやら恐縮するやら、でしたが、「津山二葉園の問題を全国の仲間たちが応援している。ホームページを立ち上げてもっと情報を出しましょう」と励ましてくださいました。二葉園を見たいと言われたので、津山二葉園へご案内しました。

 勿論、中には入りませんでしたが、写真を何枚も撮られ、「要塞みたいですね」と感想を言われました。

【会費納入とカンパのお願い!!】

  支える会の会員になってください

    会費      :1000円
    郵便口座番号:01310ー9ー9751
    口座名称    :津山二葉園の子どもたちを支える会

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